これまでに何度か、写真館で写真を撮影したことがあります。

滅多にない機会なので、いずれも緊張したものです。

しかし、それら1つ1つが、すべて「写真を撮った」というだけでなく大事な思い出となっています。

数少ない写真館での思い出を振り返るたび、幸せな気持ちになります。

私のほかにも、きっと、そういうご家族は多いのではないでしょうか。

【1.神妙な表情をしている、最初の写真】

まだ私が幼稚園に入る前のことです。

気が向いたのか、両親が私を写真館に連れて行ってくれました。

どういう経緯だったのか、私は聞かされていません。

妹が生まれる前だったようで、写真には妹がいません。

当時お気に入りだった、赤いワンピースを着た私の写真が数ポーズ残っています。

しかしその表情は、かなり硬くて神妙です。

笑顔の写真は、たった1枚だけ。

おそらく初めての場所に緊張してしまったに違いありません。

せっかく写真を撮ろうとしたのに笑顔でなかったのは、両親にしたら残念だったことでしょう。

その写真は普通サイズだけでなく、大判の写真も残っています。

また写真館では、その写真をキーホルダーにしてくれたのです。

金色のキーホルダーは、金具はすっかり錆びてしまいました。

しかし、今でもキーホルダーは大事にしています。

その日のことは、椅子に座らされて写真を撮られたような記憶があるだけです。

それでも写真を見るたびに、なんだかうれしい気持ちになります。

両親と一緒に出掛けた、という大切な記憶だからなのでしょう。

子供時代の、とても大切な思い出のひとつです。

【2.今も忘れられない成人式の写真】

私が2度目に写真館を利用したのは、成人式の前撮りをしたときでした。

「成人式の当日は忙しいだろうから」と前撮りをすることになったのです。

そのとき利用した写真館は、通っていた美容室の紹介です。

この写真が私にとっては今でもトラウマです。

思い出すのも少し嫌なくらい、「見たくない写真ナンバーワン」なのです。

なぜなら、美容室でのメイクが、思ったよりも気に食わなかったのです。

黄色いアイシャドウのせいか、腫れぼったい目になっています。

それを顔なじみの美容師さんには言いづらく、そのまま我慢してしまったのです。

さらに当時は今までの人生で一番太っていた時期なのです。

体重はたいしたことがないのですが、やはり痩せている時期と比べると大違いです

特に顔の太り具合が今でも残念でなりません。

そのため、出来上がった写真の仕上がりが良いわけがありません。

これは写真館には落ち度はなく、私が悪いのだと思っています。

似合わない化粧をした写真が未だに嫌で仕方ありません。

しかし成人式の写真ですし、撮り直すわけにもいきませんよね。

なんと写真館はサービスで、カレンダーまで作ってくれました。

喜んだ両親はそのカレンダーを居間に飾ってしまったのです。

しかし視界に入れたくなかった私は、ある日こっそり捨てました。

すると両親から想像も出来ないほどに怒られてしまいました。

転居もあり、現在の居間にはカレンダーも写真も飾られていません。

もちろん飾られたら撤去することでしょう。

その写真を、母は今でも自分の部屋で大切に保管しているようです。

私としては見たくない写真でも、両親にとっては大切な成長の記録なのでしょう。

【3.予想外の展開となった結婚式の前撮り】

結婚式の前撮りも写真館で行いました。

しかし、これが予想外の展開となりました。

写真館との約束は12時でした。

しかし母親に、朝4時に起こされてしまったのです。

起こされてすぐに「約束は昼だから」と母親には伝えました。

ところが完全に時間を勘違いしている母親が話を聞き入れてくれませんでした。

既に父親は他界していたので母親は結婚式に対して「私が頑張らないと」と異様に張り切っていたのです。

やむなく、そのまま起きて身支度を整えました。

後から確認したところ、母親は「朝の7時から」だと思っていたとのこと。

誰もそんな話はしていないので完全な勘違いです。

そこまでは良かったのですが、早起きしすぎた私は、前撮りの最中に眠くなってしまったのです。

カメラマンに何度も起こされることになってしまいました。

特に、白無垢や色打掛を着ていたときが眠気のピークだったのが忘れられません。

しっかり着込むため、暖かかったのですね。

おかげで半分眠っているような顔に仕上がってしまいました。

和装とドレス姿とでは、明らかに表情が違います。

もちろん、月日が過ぎたいまとなっては家族全員にとって、ただの笑い話です。

滅多に見ることはありませんが、見るたびに思い出して笑ってしまいます。

このとき撮った写真が、自分が撮ってもらった写真の中で、一番好きです。

若く、お気に入りの衣装を着て、楽しそうな自分を見るたび、懐かしい気持ちになります。

【4.突然の写真撮影】

さらにそこから数年後、また写真館を利用する機会がありました。

1歳下のイトコが結婚することになり、前撮りが決まりました。

すると、イトコの両親から「せっかくだから家族写真を撮らないか」と提案されたのです。

家族というと、母・夫・妹・私、の4人です。

「家族で写真を撮る機会がないから、いいかもね」ということになりました。

そこで、イトコの前撮りと同じ日に、家族写真を撮影してもらったのです。

夫以外は全員和装です。

着物を着ることも、家族で写真を撮ることも滅多にないので、楽しかったのが忘れられません。

これといった理由もない記念撮影だったので、緊張することもありません。

家族全員が、終始和やかなムードでした。

もう10年以上になりますが、これもまた忘れられない大事な思い出です。

【5.私の後悔】

30代もなかばを過ぎてから、妹が結婚しました。

お相手は40代後半で、過去に結婚歴があるかたです。

もう高校生でしたが、子供も1人います。

そのせいか2人の結婚では、「結婚式」「披露宴」という話題は、どこからも出ませんでした。

私にしてみれば、可愛い妹です。

そこで「せめてドレス姿の写真だけでも」と写真館などでの撮影を提案したのです。

ところが、妹も、妹の夫も、全く乗り気になってくれませんでした。

写真の1枚だけでも残してあげたかった、という気持ちが、何年たっても消えません。

私が結婚した時は、結婚式も披露宴も行いました。

数えきれないほどの写真が残っています。

どれも大事な写真です。

そういう写真が妹に1枚もないのだと考えると、申しわけないような気持ちになるのです。

もしかしたら妹は全く気にしていないかもしれません。

それでも、無理矢理にでも手配すればよかったのかと思うことすらあります。

きっと、この気持ちはずっと消えないような気がします。

何よりも、私が、妹のドレス姿を見たかったのです。

とても残念に思っています。

【終わりに】

街の中には、あちこちに、たくさんの写真館があります。

しかし、実際に入ったことがあるのは数店舗だけです。

普段はなかなか、入ることがありません。

それでも行った時の思い出は、どれも私には大切なものです。

成人式の写真だけは未だに見返したくはありませんが…それもまた、思い出のひとつと言えるでしょう。

家族の大切な歴史の1つです。

いろんな家族が、いろんな思いで写真館を利用しているのでしょう。

もう私も40を過ぎて、なかなか写真を撮りに行くような機会もなくなりました。

しかし、またいつか家族写真を撮る機会を作りたいなとは考えています。

「写真館で撮った写真たち」

     I. はじめに

私たち家族は、結婚式の写真すら撮らなかったくらい、夫婦の時はあまり写真に関心がありませんでした。

実際に結婚式をしていないので、写真だけの結婚式もしませんでした。

ですので、結婚したてのころの写真というものが正直ほとんどありません。

私たちにはなかなか子どももできなかったため、子どもができなかった7年間、私たち夫婦は2人で撮った写真もほとんどありませんでした。

恐らくこの7年間で、2人で撮った写真など、数えるほどしかないのではないでしょうか。

しかも、「写真館」に行くという発想は当時全くなかったため、どちらか1人の写真はあっても、2人で一緒に撮った写真なんてものはほぼなかったに等しい状態だと思います。

それくらい、私たちは写真には関心がありませんでした。

私たちは、そんなものは特になくても良い、とすら思っていました。

ところが、7年経ったある日、そんな私のお腹に、子どもが宿りました。

妊娠してお腹がかなり出てきたある日、なぜか「妊婦写真を撮ろう!」という広告が目に留まりました。

なぜその広告が目に留まったのか、今でもわかりません。

ですが、なぜか「一生に一度かもしれないから、撮っておこう」という気持ちになりました。

特に、7年も子どもができなかったのだから、子どもができるのはかなり貴重なことだろう、と私は思っていました。

ですので、私は主人に頼んで、一緒に妊婦写真を撮ってほしいとお願いしました。

主人は、私の考えを聞いて「いいよ」と言ってくれました。

     I. 妊婦の時の写真

そして、近くにある写真館で、私たちは妊婦写真を撮ることにしました。

いろいろポーズを指示してくるので恥ずかしいと思いましたが、私たちはその通りにやってみました。

写真館のカメラマンはやはりプロなので、私のお腹がいちばんよく目立つように写真を撮ってくれました。

何カットも撮影してくれましたが、お金がなくて結局そんなにたくさんは買えないので、その中から比較的よく写っていると思った2枚をピックアップしました。

そして、それを専用の台紙の中に入れてくれ、持って帰ることにしました。

それを撮影したところで、私たちは2人でいる間はほとんどそれを眺めたことはありません。

ただ「私のお腹が大きくなった、妊娠をした記念」として取っておいただけ、という感じでした。

しかし、この位置づけが変わったのは、子ども達が生まれて、子ども達がある程度育ってきてからのことでした。

子ども達が、お腹の大きい私の写真を見つけて「この中にいるのは誰?」と聞いてくるようになりました。

あなたがここに入っているのよ、とお話しすると、すごく興味深そうにその写真を見ていました。

ああそうか、こういう時のために私は写真を撮ったのかな…と後になって思いました。

そして、写真は後になってから思い出になるし、自分たちが生きてきた証になるのだ、ということに気づきました。

     III. 子どもの七五三の写真

上の男の子が5歳、下の女の子が2歳の時に、写真館で最初の七五三の写真を撮りました。

2人とも、貸衣装でしたが、着物や袴を着て、写真を撮ってもらいました。

うちの子たちは特に不機嫌になることもなく、最初から最後まできちんとポーズを取ってくれていました。

その写真は、私たちも当然家に保管しましたが、私たち両家の祖父母にも送りました。

子どもの成長を見て、祖父母たちはすごく喜んでくれました。

そして、その子ども達の写真をずっと今でも飾ってくれています。

さらに、上の男の子が10歳、下の女の子が7歳の時には、別の写真館で七五三の写真を撮りました。

このころには子ども達もこんな着物がいい、こんな袴がいい、とこだわるようになっていました。

最初の七五三で、与えられたものを着せられてポーズをとらされていた時よりもさらに成長したなと感じました。

写真を撮るときにも、自分のこだわりが多少出るようになりました。

このポーズがいい、このポーズは嫌だ、など言いながら撮っていました。

最後に、ここで家族写真も1枚撮りました。

この写真も私たち両家の祖父母に送りました。

どちらの祖父母もすごく喜んで、これもずっと飾ってくれています。

子ども達の写真は、成長がとても見えるし、何より可愛いので、私たちもとても気に入っています。

この2つの七五三の台紙は、家族が時々見たくなったら眺めている、そんな喜ばしい写真になりました。

     III. 2分の1成人式の写真

今度は、下の女の子と母である私が一緒に歩いている時でした。

娘が、「私も2分の1成人式の写真を撮りたい!」と言い始めました。

たまたま格安になっているのもあったのですが、写真を撮ろうか、ということになりました。

ここもまた近所の写真館ですが、衣装がいっぱいありました。

娘は、ドレスや着物をたくさん見て、着るものにすごく迷っていました。

娘にしてみれば、お姫様気分だったのでしょう。

いろんなお洋服や和服をあてがっては鏡を見て微笑んでいました。

結局、着るものも決まり、髪の毛もお店の人にセットしてもらいました。

そして、撮影をする時は、いろんなポーズを決めて撮っていました。

女の子は、男の子よりもこういうときにノリが良く、前に上の男の子の写真を撮った時と比べて明らかに自由に撮られているなぁと感じました。

写真を選ぶとき、娘は迷いに迷っていました。

そんな、これを選ばないということはできない、とでも言わんばかりに、「これもほしい、これも…」といろんなカットの写真を選んでいきました。

結局、娘は自分の写真を7カットも選んで、台紙におさめていきました。

この写真も、ことあるごとに子ども達が、特に娘がよく見ています。

娘が家に飾りたがるので、子ども達でよく見ていたり、私も時々娘の可愛い姿を見ています。

     III. 私たちと「写真館」

普段はあまり生活の中で意識することのない「写真館」という存在です。

デジカメというものが発展してから、私たちは自分たちでも数えきれないほどの写真を撮っています。

しかし、本当に一生残しておきたい写真というのは、やはり「写真館」というところにお世話になって、いい写真を残しておきたいと思うのです。

こんな風に考えるようになったのは、本当に子どもが生まれてからのことです。

私も正直こんな風に心が変わっていくなんて、びっくりしています。

普段の生活では意識することはないですが、節目節目になると「写真館」に行き、素敵な写真を撮っていただき、あとでそれを眺めるという、それが今では当たり前になってきています。

特に、子ども達はその写真を見て、親がお金をかけた分、愛情を感じるようです。

自分たちが素敵に写っていること、そして、それを大事にとっておいてくれていることが、子ども達にとても良い影響を与えているように思います。

そういう意味で、「写真館」やそこのカメラマンさんは、私たちに幸せをくれている、そんな存在なのだなと改めて思います。

これからもきっと、入学式や卒業式、成人式など、節目節目で子ども達の写真を撮っていくことになるのだろうと思います。

そして、それを見返しながら、あの時はこうだったね、などと、当時の思い出を語ったり、子ども達の小さいころを懐かしんだりするのだろうと思います。

これからも「写真館」やカメラマンさんには、思い出作りのお手伝いをお願いしたいと思います。

そして、私たちはそれを見ながら「家族であることの幸せ」をかみしめて生きていきたいと思っています。

写真館で撮る写真は、人生の中で特別だった瞬間を写し出しています。

そしてその時のことを思い出しながら、家族みんなで語り合う。
そんなひとときのエピソードをお話したいと思います。

  I. 私の成人式

私がメイクアップを、初めてプロの人にしてもらったのが成人式です。かすみ草の花を飾り、髪を結い上げてもらった時の気持ちは今でも覚えています。

少し緊張しながらも、嬉しさが顔ににじみでていたでしょう。そして母が二十歳の時に着た、桐の模様の入った着物を着付けてもらい、鏡に写った時、自分は成人したのだなと実感しました。

写真室に入り素敵な椅子に腰掛け、着物の裾や、草履の位置、手の置き方を優しく直していただき、いざ写真撮影です。

少し笑って下さいとか、遠くを見て下さいとか上手に誘導していただき、成人の写真を撮り終えました。写真室の隅で、終始にこにこして見ていた両親の表情が、とても印象的だったのを覚えています。

あれから何十年もたち、今私と同じ桐の模様の着物を着て、にっこりと笑っている私の娘の写真があります。私の二十歳の写真と並んで飾ってあるのです。

よく見ると、私の方は少しソフトフォーカスがかかっていて、やや時代を感じます。娘の方は、シンプルできりりとした今風の雰囲気です。

この二つの写真を見ると、家族だけでなく友人が遊びに来た時なども、きゃあきゃあと大盛り上がりです。写真館で写真を撮っておいて、当に良かったと思う瞬間ではないでしょうか。

     I. 子供の七五三

ちょうど五歳と三歳の時、上の男の子二人が同時に写真館で写真を撮りました。

海外の転勤が決まっていたため、まとめての七五三となりましたが、子供達は大はしゃぎです。

羽織袴での撮影と、タキシードでの撮影に興奮状態もピークに達していたのを今でも覚えています。自分で選びたいと上の子は紺と白の羽織袴に日本刀を持ち構えます。下の子も負けじと黒と白の羽織袴で大きくポーズをとり二人とも大満足。泣くこともなく終始スムーズに撮影を終えました。

次にタキシードです。二人とも紺色と黒色でビシッと決め、黒の革靴を履き、小さなブーケを下の子が持ち、見つめ合うショットです。なんとも愛くるしく少し涙が出てきそうになりました。

写真館での撮影がほどよい緊張感と、高揚感を心地よく感じさせてくれて、本当にここまで丈夫に育ったなと主人と感動し合ったのを覚えています。

今その写真は、木枠の二つ折りになる大きな写真立てに入れられ、寝室に飾られています。その写真が眺めるたびに、あの時子育てでこんなことに悩んでいたなとか、沢山笑い転げたことなどを思い出すのです。まさに写真は、一瞬でその時の世界に戻してくれる、魔法なのかもしれません。

     I. 大家族写真

父の75歳の誕生日が近くなった時、写真館で記念写真を撮りたいと言ってきました。

兄家族と私たち家族、そして両親とで総勢11人の大所帯です。すぐに写真館に予約を入れることにしました。

その時から何を着ていこうかとか、少し足が悪くなってきた父を、写真館へ連れて行く方法などあたふたと考えます。でも何故かどこかうきうきしていたのを今でも覚えています。

皆で写真を撮るだけなのに、こんなにも楽しみな気持ちがわき上がってくるのは、きっと今まで写真館で撮ってきた、たくさんの思い出がそうさせているからなのでしょう。

撮影の当日は、子供達も皆小学生以上ということもあり、時間をかけることなくスムーズに、そして終始和やかに撮影が終了しました。その写真は今も実家のリビングに飾られています。お盆や年末年始に皆で集まるたびに、何年前になる?とか、この頃髪の毛長かったねとか、今何センチ身長のびた?などと写真を囲み話がとまりません。そしてそこから次々と、今の子供達の部活や勉強の話などに発展し、本当に楽しいひとときを過ごせるのです。それが写真の持つ大きな魅力なのかもしれません。

     I. 両親の遺影

両親が80歳になった時、写真館で遺影を撮りたいと言ってきました。その時は本当に驚きましたが、その後のことをきちんと考えている両親の姿勢に、心から凄いなと思ったのを覚えています。そして私も見習いたいと思いました。

父は紺色のお気に入りのジャケットに、爽やかなピンク色のシャツを着て、母は愛用している上下グレーの、きりっとしたスーツを着て撮影に臨みます。いつもの日常よりしゃんとした姿は両親の老いを感じつつも、しっかりとした力強さも伝わってきてとても感動しました。

きれいな明るめの背景に、にこりと少し笑った二人それぞれの表情は、私がものごころついた頃から見ている笑顔です。自分も年齢を重ね子育てをして、真から両親のありがたさがわかってきた頃に、この遺影の撮影は多くのことを考えるきかっけになりました。撮影後、これで写真は揃ったから安心したよ、と言った父の顔は今でも覚えています。そしてその写真はまだ使われることなく、ひっそりと保管されています。

     I. 海外の写真館

海外駐在の頃、写真館で記念の家族写真を撮りました。

それは日本の写真館の撮影方法とはまるで違い、自由なポーズと自由な動きを求めてくるものでした。昔からしっかりと正面を向き、少し微笑むというポーズになれている日本人にとってこれほど難しいものはありません。

少々パニックになりながら、写真家の人の優しい誘導で、なんとか緊張がほぐれてきました。家族全員で大笑いしているシーンや、足を組んだり、後ろから子供をハグしたりと、きちんと並んだ写真は撮ってはくれません。

カルチャーショックを受けつつも、撮影が終わり、できあがった写真に家族で大感動しました。こんなかわいいい表情するんだね、嘘みたいにいい瞬間だね、こんなお行儀の悪い格好をしてるのにとても楽しそうで面白いねとか、とにかく通常の写真館の写真とは全く違う仕上がりに、驚きと感動が止まりません。

今でもこの中のお気に入りの家族写真は、リビングに飾られています。この時の写真館での変な居心地の悪さや、日本人の常識を覆す感覚、とにかくいろんなことがごちゃ混ぜになり、最後にはなんだかとても楽しかったという思い出になっているのです。これこそがスタジオで撮ってもらう写真の相乗効果なのかもしれません。

5つのエピソードをお話ししました。人生の節目に、写真館で撮ってきた数々の写真を眺めることは、私にとって大きな喜びです。あの時は小さくて大変だったとか、あの服はかわいかったねとか、家族でたくさんの思い出を話すことができるのが写真です。

そして写真館で撮った写真には、何故か不思議な魅力があります。それは写真家の方の、和やかな言葉や、子供を必死であやしながら良い表情の瞬間を撮り続ける、プロフェッショナルな技術があるからではないでしょうか。これら全てが何か特別で、心に残る思い出として家族一人一人の中に刻まれるのです。そして次の代へと間違いなく受け継がれていくことでしょう。

「故郷の写真館」

私が生まれた町には何軒か写真館がありました。

どのお店も先代から続いていたようで、古いお店でした。

個人の写真館は昔ほど見ることがなくなったように思います。

私にとって写真館はとても身近な場所であり、今でも出かけた先で写真館を見かけると、心がときめきます。

小学校や中学校の修学旅行や遠足にも写真館の方が同行され、たくさん写真を撮ってくれたものです。

行事ごとにも来校され、先生以上に親しい写真館の方もいました。

撮ってもらった写真は、参観日など父兄が学校へ来る時に選び、注文するようになっていました。

貼り出された写真を眺めて、友達や家族とワイワイ言うのも楽しいひと時でした。

我が子の学校ではこういうことが無いため、時代は変わったなと思います。

自分の成人式の写真は、その地元の写真館の一軒で撮ったものでした。

前撮りに、両親や祖父母とともに訪れたのです。

今その写真を見ると、当時の嬉しいような、恥ずかしいような、何とも言えない気持ちと共に、それを撮ってもらった時の両親や、今は亡き祖父母の笑顔が思い出されます。

写真には自分しか写っていなくても、そこに居た家族の姿が目に見えるようで、開くたびにあたたかい気持ちになります。

そしてまた、そんな気持ちにさせてくれた写真館を懐かしく思うのです。

「写真が与えてくれるもの」

写真は記憶を留めるための大事なツールだと思います。

時間を切り取り、思い出に残してくれます。

見る人を、他のどんなものよりも鮮明に、写し取った時間を思い出させてくれるのではないでしょうか。

例えば、私がこれから40年生きられるとしたら、春はあと40回しか経験できません。

人生の節目も、数えるとあと数回しかないのかもしれません。

大げさかもしれませんが、そう考えてみると、一分一秒が本当に貴重で、人生がますます素晴らしいものに感じます。

四季折々に自分の目に映るもの、経験すること、出会う人などを、写真はその一枚一枚に記憶し、忘れられない時間の宝物にしてくれます。

先日両親が引越しをした際、家族の写真を整理し、子供達に送ってくれました。

私の両親は写真をたくさん撮ってくれていたので、整理するのも大変だったようですが、どれも懐かしいものばかりで、手に取るごとに記憶がよみがえりました。

近所の公園へ行ったものから、海水浴、家族旅行、入学式など。

何気ない日常を撮ったものも見られ、両親の愛情を感じます。

共働きであるのに、忙しい中3人の子供達の写真をこまめに撮ってくれていたことに、頭がさがる思いです。

また、写真を時系列に見ていくと、子供達が成長し、祖父母が年老い、私の子が生まれ、また両親が年老いという我が家の歴史も見て取れました。

そうしていくうちに、ふと写真は今生きている人と、この世からいなくなった人とが大切な時間を共有した証としても残されるものだと実感しました。

そんな宝物をたくさん残してくれた両親に感謝しつつ、我が子へも同じように残してあげられるよう、たくさん写真を撮らねばと思う今日この頃です。

「写真館の主」

先に挙げた成人式の前撮りで地元の写真館へ訪れた時、応対してくれた初老の店主は、私が学生時代の様々な行事で同行してくれたうちの一人でした。

写真を撮ってもらう前に当時の話に花が咲き、撮影までに時間がかかったのを覚えています。

地元は海沿いの城下町。

写真館も昔の武家屋敷跡が並ぶ歴史ある一帯にあり、周囲に溶け込んだ趣のある建物でした。

その周辺には神社仏閣に加え、公園や図書館などもあり、下校後の多くの時間を過ごす楽しい遊び場でもあったことから、その中にあった写真館もとても身近に感じていました。

そのため、いつからか私は勝手にこの写真館で成人式の写真を撮るのだと思っていました。

きっと人生の節目の写真は写真館で撮る、という思いがその頃からあったのでしょう。

店主との話が終わり、いざ写真を撮る時の、あの息を呑むような一瞬。

室内は静寂に包まれ、とても神聖な気持ちになりました。

あれからまた20年。

先日久しぶりに地元へ帰った時、写真館はあるものの、店の扉は固く閉じていました。

壁には蔓が絡み、趣のある写真館をさらに厳かに見せており、過ぎた年月を思わせました。

店主が今でもまたその扉を開けて、あたりを駆け回る子供たちに声をかけてくれそうな気がして、なかなかすぐにはその場を離れられませんでした。

出来上がった写真を私以上に喜んで見てくれた店主の顔が、今も忘れられません。

「祖父母の写真」

私がまだ独身の時、実家にあった膨大な写真の中から、父親の小さな頃の写真を目にすることがありました。

どこかの写真館で撮ったものか、白黒の記念写真でした。

父親は7人兄弟の末っ子であり、写真ではその兄弟姉妹が勢ぞろいして礼儀正しく並んで写っていました。

父親が生まれたのは、戦後すぐの時代です。

物もなく、生きていくのにも大変の頃だったそうですが、写真に写る仲の良さそうな子供達と、威厳のある祖父、優しそうな祖母の姿に幸せな家族の様子が垣間見えました。

今実家には、父方の祖父母の金婚式の時の写真が飾ってあります。

写真の端にはそれを撮った写真館の名前が刻まれていました。

実家に飾ってある祖父母の写真はその一枚ですが、飾り方から父親がその写真を大切にしていることがうかがえました。

この金婚式の写真は私もすごく好きな写真です。

記憶にある祖父母に近い姿なのです。

父親が末っ子だったことから、祖父が80歳の頃に生まれた私は、両親によれば目に入れても痛くないほど可愛い孫だったようです。

手元にはありませんが、私との写真がたくさんあり、大切にしてくれていたと言うことです。

私が10代の間に亡くなった祖父母であり、段々と記憶が定かでなくなっている

のですが、金婚式の写真を見るといつも大好きな祖父母に会えます。

その度に、この写真を撮ってくれた、見知らぬ写真館の方に感謝するのです。

「特別だけれど気軽に」

現在私が住んでいる地域には写真館はありません。

昔はあったそうですが、継ぐ方がおらず、閉められたということでした。

「写真館」と言うと、何か特別な響きを感じます。

写真を写真館で撮るということは、人生の節目に訪れることが多かったからかもしれません。

ところが、案外特別な時だけではなく、実は身近で気軽に写真が撮れる場所なのではと思う機会がありました。

先日、昔の絵葉書や写真を整理する手伝いに行った時、写真館の名前が入ったものをたくさん目にしたのです。

その多くが、節目だけではなく、日々の様子を写し取ったものばかりでした。

昔は自分の今の様子を相手に知らせたい時や、挨拶代わりに写真を撮り渡す事もあったのではないかとうかがいました。

どれも白黒で、時代を表すような風貌の人たちが写っていましたが、ふとした生活の一面を切り取った写真の数々が物語るものは、私たちが普段何気なく撮る写真の意味と大差ないように思えました。

手軽で便利な機械が普及し、ひとくちに写真を撮ると言っても、そのスタイルはずいぶん変わりつつあることを実感します。

ですが、写真に込める思いは、今も昔も変わらないように思います。

書き連ねていくうちに、私もまた家族や大切な人たちと写真を撮りたくなってきました。

町へ繰り出し、写真館へ足を運んでみるのもいいかもしれません。

懐かしい写真館の思い出を胸に、今のとびきりの一枚をお願いしてみようと思います。

『写真の主役は子供であることを忘れずに』

わが家には4歳差の子供がいます。二人ともお宮参りや1歳のお誕生日には地元で有名な写真館でお世話になりました。

その写真館には決して多くの衣装がある訳ではありませんが、お店の方がセレクトされたカワイらしい衣装がいつものありました。更には何着試着しても何枚撮影しても同料金ですので、ついつい親族は何着も我が子に着せたくなります。

でもここで注意して頂きたいのが写真を撮るのは子供が主役であるということです。

子供は親のオモチャではありません。ですので意思もあり、なかなか親が思っている通りには撮影は進まないということです。

そんな中でもその写真館のスタッフさんは子供が笑顔になるような声かけや仕草などをして下さり、その仕事っぷりはさすがプロ!と感心させられるほどです。

わが家がお宮参り、一歳のお祝い、七五三と毎回のイベントごとにその街の写真館を利用しているのもスタッフの方の素晴らしい仕事っぷりがあるからです。

そのお蔭でわが家には、アルバムが2冊、さらにお気に入りの写真を数枚選んで
毎日見られるようにフレームに入れて玄関先やリビングに飾っています。
アルバムは開かないと写真を見返すことはありませんが、写真たてはリビングに飾っていますので撮影当時の話や足型を見てこんなに小さかったんだと話をすることは多いです。

   I 『撮影は午前中を予約するべき』

撮影時間は子供からすると知らない場所、知らない大人に囲まれて全員から注目を浴び続けることになります。それが苦痛でないお子さんであれば構いませんが。恥ずかしがりやのお子さんや小さなお子さんであれば人見知りをされる方が多いため撮影時間はなるべく短くなるように親側が考えるべきでしょう。

さらに、親側からするとせっかくなら何着も衣装変更させたいと願うご両親が多いため、時間もかかり、子供からすると撮影にも時間がかかるのにその後の写真選びやアルバム選びにも待ち時間が発生するのです。

一歳児や二歳児であればお昼寝があるお子さんが殆どでしょうし、午前中の撮影がお勧めです。

それでもお昼過ぎまで撮影や写真選びまで2~3時間かかるかたが一般的に多いためお宮参りの撮影の赤ちゃんであればミルクの時間や授乳の時間までも考慮する必要があります。

さらにミルクを飲んだ後の赤ちゃんはご機嫌にはなるものの、睡魔が襲ってくるため眠くて愚図る可能性さえあります。

そのためにもなるべく撮影時間は短時間にすることが一番です。

土日の午前中は多くの撮影者で込み合うため基本的には予約制となる写真館が殆どでしょう。

前もって写真館には電話し、撮影日時や時間等予約しておく必要があります。

     I 『撮影日前に下見を』

撮影日は予約されることをお勧め致しましたが、前もって予約した写真館に実際下見に行っておくことをお勧めいたします。車で来店するならば駐車場はあるのか、ベビーカーで店内に入れるのか、さらには当日撮影する衣装選びもさせてもらえる場所であればしておいたほうが良いでしょう。

撮影されるお子さんの年齢が0歳や1歳児であれば子供は親が似あう等おだてれば試着まではスムーズに進むことが多いですが、3歳児以上にでもなれば自分の意志が出てくるので、時に親の勧めた衣装よりも自分ではこっちがいい!と意思表示を示してくるからです。そこで親が折れることができるなら構いませんが、ご兄弟で一緒の衣装を着せたい、親の選んだ衣装を着せたい等の希望があるならばぜひ事前に衣装選びが可能かどうかの確認をするほうが良いでしょう。

また、土日の午前中は多くの撮影者がいるため衣装選び等の下見は平日を選ぶのは一般的です。

衣装選びをしていたとしても、当日になって気分が変わって着てくれない。なんてこともあると思います。相手はあくまでも子供。それは仕方がないことです。

そんな時は怒ったりせずに撮影が終わったらレストランにいこうね、公園で遊ぼうね、等少し先の楽しいと子供が感じる話をしリラックスして楽しい雰囲気を作ってあげましょう。決してその場で「せっかく下見までしたのに」等怒ったり無理やり着せることはお勧めできません。たとえ無理やり親の希望する衣装を着せることに成功しても、その後の撮影でお子さんが不機嫌な顔になってしまっては本末転倒だからです。

子供自身は写真なんて撮りたいと思っていないのです。知らない大人に囲まれて衣装替えをされ拘束させられるだけでストレスに感じているはずです。将来の子供のために!と頑張りすぎる親御さんは多いのですが子供が機嫌を悪くしてしまえば撮影どころではなくなるのです。

さらに、主役のお子さんにご兄弟がいるご家庭であればさらに考える必要があるでしょう。親は主役のお子さんに集中し、ご兄弟のことはある一定時間放置しがちになるからです。

私も我が子との家族写真で写真館を訪れた時に、他のブースで撮影しているご家族のお子さんが「早く帰ろ~!」と愚図っていた光景を何度も目にしました。それほど子供は時間や場所を拘束されることを嫌うのです。

     I 『前もって料金プランを確認しておく』

写真館で撮影するとなれば万単位の費用が発生します。

衣装プランなのか、撮影ごとのプランなのか等写真館ごとに違いがあるでしょう。

さらに繁忙期以外であれば使えるクーポンや特典サービスなども多くあるためフリーペーパーなどで下調べをしておくと良いでしょう。

撮影当日にフリーペーパーを提出しても割引きや特典を受けれないケースもあるため、必ず予約時の電話でクーポンを持っていることや質問をしておくとこも忘れずに。

当日、撮影後に金額を提示されてこんなはずではなかった!と思うことがないように大体の料金プラン形態も把握しながら撮影に臨むことも必要です。その上で衣装替えをしてもよいか、撮影してもよいか等親側から誘導して声かけしてあげると良いでしょう。

   『待ち時間があることも忘れなく』

待ち時間削減のために予約することは必須ですが、当日それでも待ち時間は発生するもの。その待ち時間にお子さんが愚図らないようにするためにも何かオモチャを持参することをお勧め致します。この場合お子さんのお気に入りのオモチャを持参しても構いませんが、新しく買ってからまだお子さんに見せてない新規のオモチャの方が有効的でしょう。

     『写真を撮ってから』

一人目の子供の写真を撮ってからイベントごとに写真館へ写真を撮りにいく習慣ができました。

写真館での写真はアルバムを作成しデータも購入可能なため自宅で年賀状や写真にプリントアウトしフォトグックを作成し両方の祖父母にプレゼントすることも可能です。写真は見返すと一瞬なりともとの場に戻ったような気持ちになり会話が弾みます。それはきっとご両親だけでなく、お孫さんにあたるお爺ちゃん、お祖母ちゃんからするとさらにそう感じられるでしょう。

毎年写真館で家族写真を撮影するご家庭もあるほど写真は人の心に思い出という素敵な幸せをつくるでしょう。

子供からしても今はまだ分からなくても大きく成長した後に見返した時に必ず親に感謝の気持ちが目替え幸せな気持ちにさせてくれるでしょう。

写真館での写真、それは日常にスマートフォンで撮影する写真とは違う非日常ですが特別なエピソードづくりと家族にとって特別な一日になるでしょう。そんな特別感はきっと小さなお子さんにも伝わるはずです。そのためにも撮影当日までに入念な準備をしておくことこそが当日スムーズで家族が笑顔で撮影するための秘訣なのです。

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